夏空叙事詩

物語について語りたい、たまに小説

完食『窮鼠はチーズの夢を見る』

 なかなか納得できるようなできないような映画でした!! 邦画、3年ぶり。自分だとやっぱり海外映画を見がちなので、オススメあったら教えてください(*'ω'*)

目次

1.映画情報
  • 公開:2020
  • 上映時間:130分
  • 原作:漫画『窮鼠はチーズの夢を見る』水城せとな
  • 監督:行定勲
  • 脚本:堀泉杏
  • キャスト

   大伴恭一:大倉忠義

   今ヶ瀬渉:成田凌

   岡村たまき:吉田志織

2.あらすじ※ネタバレなし

 理想の家庭を持ちながら不倫を繰り返す大伴恭一の前に、大学時代の後輩・今ヶ瀬渉が現れる。探偵の彼は大伴の不倫の証拠を握っており、それを妻に隠す代わりに大伴の身体を要求する。今ヶ瀬は7年もの間大伴のことを想い続けていたのだった。拒絶する大伴だが、次第に二人の関係は変化していき……

3.消化してみる※ネタバレあり

原作漫画未読ご了承ください。もし読んだ人いてオススメしてくれたら多分今だったら軽いタッチで落ちます...

①表情

 たくさんの場面で登場人物の表情に惹きつけられたが、中でも、冒頭7年ぶりの再会を果たした今ヶ瀬の表情が印象的だ。

 まるで犯罪者のような暗い瞳、底が知れないその瞳が真っ直ぐに「不倫をしている大伴」を射抜く。そして唇の片端をあげるような、曖昧な笑顔を浮かべるのだ。

 正直恐ろしいと思った表情だが、今思えばあれは最高にずるい切り札を手に入れてしまった時の自嘲の表情だった。不倫を妻に黙っていることを条件に、今ヶ瀬は大伴に何度もキスをねだる。ここで本気の拒否をしない大伴は、彼の「求められたら断れない」性格を発揮しているのだろう。その後も脅しは続き、離婚して傷心の彼を慰める形で、今ヶ瀬は大伴の生活へと入り込んでいく。


②時間

 この物語、時間の流れというのが非常に曖昧に描かれている。原作漫画の尺を映画に当てはめるための処置かもしれないが、時間の流れのスピード感に驚かされることが多かった。

 その一つがこの大伴の離婚から二人の半同居生活が板につくまでの場面だ。大伴が「ただいま」を言うまでに、一体どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。今ヶ瀬はどれほど大伴のために料理を作ってあげて掃除をして洗濯までしてあげたのか。

 正直、ここはもうちょっと丁寧に描いてほしかった。二人は元々大学時代の先輩後輩でもあるが、それにしたって心の距離感というのは縮めるのが難しい。7年と言う圧倒的な時間が横たわると、再会してからの1日1日はどうしたって軽いものになるのかもしれない。しかし、その1日1日が、今ヶ瀬の愛であり、献身であり、ずるいだ。もっと大事にしてほしかった。

 (時間の流れに関して追記。上司と蕎麦屋で話した後、上司死ぬまでのスピード感も凄すぎて突っ込んでしまった。あん時蕎麦屋で一緒に食ってたの幽霊説まである)

 

③大伴ォ!(恨)

 大伴がほんとに最低すぎる! って言いたいところだが、彼はただただ優しい男だったのかもしれない。残酷な優しさを持つ男だ。彼は自分を愛そうとする者を拒まない。彼をなじった言葉が映画ではいくつも出てくる。

 離婚を切り出すとき大伴の妻が言う、『私が何かを言うのを待っている空気が、もう、気持ち悪いの』この言葉、意識していると本当にその通りなのだ。

 例えば、今ヶ瀬に対して「今ヶ瀬は俺のこと嫌っているのかと思ってた」と言う場面がある。(セリフこんな感じだったと思う程度)この時、今ヶ瀬の返答はないまま、映画は次の場面へと移る。

 正直めちゃくちゃムカついた。今ヶ瀬も呆れていたのでは無いかと思う。ここで「好きだったんですけど、何か??」って言って押し倒してもバチ当たらないレベル。大伴の表情が、もはやせせら笑っているようにも見えてくる。今ヶ瀬の感情をもっと思いやっていたら、こんな言葉は出て来るはずがない。

 何かを言うのを待つ、というのは他人の理解への諦めだ。結局大伴は差し出されるものに手を伸ばすという楽をずっとずっとしようとしている。


④窮鼠とチーズとチーズケーキ

 大伴の後輩、岡村がチーズケーキを持ってくる場面がある。このチーズケーキは岡村の大伴への好意の表れであり、誘いの合図でもある。このチーズケーキと、大学時代の大伴の元カノ・夏生の出す「ハーメルンのネズミ」というのがこの物語の題名に深く繋がっている。

 窮鼠、飢えたネズミはチーズを待ち続ける。大伴はチーズケーキ(相手からの好意)を待ち続ける。あの鉄筋コンクリート剥き出しのお洒落な部屋は、見ようによってはネズミの巣穴のようにも思えてしまった。(これは流石に考えすぎだけど)

 この物語、大伴と今ヶ瀬は再び出会って愛し合うようになるのだろうか? 原作でどうなるのかは知らないが、映画単体の続きを想像した時、わたしには二人が“幸せ”になる未来が見えなかった。どちらかと言えば明るい未来を想像させるような、陽の差し込んだ部屋、笑顔の大伴...…。

 だが...…洗って用意した灰皿は、まるで餌用の皿ではないか? 結局、大伴本人はずっと「待ち」の姿勢だ。愛することを覚えた彼は、それでも自分からは動かない。今ヶ瀬はまた彼の部屋を訪れるかもしれない。何気ない風に。しかし、その時もきっと彼は苦しい思いをするのだろう。信じてる、という言葉はまだ大伴のものにはならない。夢を見るだけなら簡単なんだぞ...…!

 『幸せとは、愛されることではなくて、誰かを愛すること』これは私が好きな映画『マイ・ルーム』に出てくる台詞だ。(※作中の言葉そのままではないです)これは一つの真理だと思っている。大伴は幸せとは何かをずっと履き違えているのだ。結局、最後まで履き違えたままなのかもしれない。

 
+α:性交渉※R18に近い表現あり

 ※以下の知識は全部創作物に基づいているのでなんのアテにもしないでください。実際のところはわからない...。あと言ってることキモいんで聖母の表情で読んでください。

 この映画、R15+ってマジ?? ってなるくらいには生々しい描写が多い。男女の性交渉のシーンはもちろん、男性同士の性交渉のシーンもてらいなく描いているのはすごくよかった......。潤滑剤をしっかりと垂らすシーン、ゆっくりと動いていた今ヶ瀬が、やがて激しい動きへと変わっていく。

 大伴が受け手に回った時の、どちらかと言えば苦痛が多そうな表情をしている顔。慣れていないのだというのがわかるし、それでもなお繋がることを選んだ、受け入れたということに感動してしまった。対する今ヶ瀬はやはり慣れているのだろうか。しっかり快楽を拾っている反応だ。これまた幸せそうだし私も幸せだった。

 そしてこれは日本人の腐女子がこだわりがちなのだが、この映画には固定の受け手というのが存在しない。左右の概念に拘らないのも良い。