夏空叙事詩

物語について語りたい、たまに小説

完食『ジョー・ブラックをよろしく』

 初めまして。さしあたって最近見た映画『ジョー・ブラックをよろしく』についての消化活動をしたいと思います。最初から自重も遠慮もしない長文で参ります。

目次

1.映画情報
  • 公開:1998年
  • 上映時間:181分
  • 原題:”Meet Joe Black"
  • 監督:マーティン・ブレスト
  • 脚本:ロン・オズボーン/ジェフ・レノ/ケヴィン・ウェイド/ボー・ゴールドマン
  • キャスト

   死神、Death:ブラッド・ピット

   ビル:アンソニー・ホプキンス

   スーザン:クレア・フォーラニ

2.あらすじ※ネタバレなし

 『胸を震わす恋の情熱、それが生きることだ。』

 死を司ってきた“Death”は、事故死した青年の身体に憑依し人間について学ぼうと試みる。死期が近いビルの側近として生活する彼は、ビルの娘スーザンに恋をするが......

3.消化してみる※ネタバレあり

①死神と人間の恋

 ブラッド・ピットが演じる死神(Death)がとにかく切ない。

 冒頭で明るい青年が出てきてスーザンと仲良くなる場面がある。ブラッド・ピット演じる青年である。私はすでに【ブラピ=死神】だと思っていたので(あ、死神ってこういう感じの青年なのか。もっと暗い人を想像していたけど、なるほど)と納得してたら、まさかのその肉体を死神が使うという流れ。私は察した。

 (あれ? スーザンはこの後誰に恋をするの? え、この物語絶対しんどいじゃん.........)

 実際しんどかった。スーザンは死神じゃなくて過去に会った青年にずっと惹かれていたし、でも確実に青年の中に死神自身も見つけていて、その違いに戸惑いながらどっちも愛していったんだろうな...…と。

 そして死神も、自分の役割とはじめての恋心にずっと戸惑っているのが、彼の迷子のような表情が全部教えてくれている。

 特に性行為のシーンの映像がすごい。とにかく「表情」を写し続けるあの映像。スーザンの幸せの表情に対して、幸せだがやはり迷っている幼子のような死神の表情......この対比が素晴らしかった。

 迷いと言えば、死神に突き付けられた選択へも触れざるを得ない。彼は最後に、スーザンを手放すか否かを選択する。そこで初めて死神にとっての愛が完成する。利己的なものではない…...真に誰かを想う心、それこそが愛なのだ。

 

②死とは? 生とは?

 この物語は切なく情熱的な恋を描いた作品である以上に、死とは? 生とは? という重要な問いを投げかけている。

 死神は自分の仕事をこなしながら、こう思っていたのではないだろうか。
(死の意味とは?)

 それは彼の存在意義にもつながる重要な問いであり、私たち自身が時折疑問に思うことでもある。逆説的にこんな風にも。
(どうせ死ぬなら、どうして生きなくてはいけないの?)

 その問いに一つの答えを出してくれるのがこの映画だった。命の尊さの源にある沢山のものの一つ、愛という物の素晴らしさを死神が知っていくのと同時に観ている私たちも知る。

 命は素晴らしい。限られているから、その先に死があるからこそ......何百もの物語が伝えてくれるその大切なメッセージを、この映画もまた丁寧に丁寧に伝えてくれた。

 最後の花火のシーン、夜空にパッと散っていく花火を、死神は本当に美しいものを見る時の顔で仰ぎ見ている。もしくは今まで何気なく見ていたものの美しさに気づいた時の、とんでもない大発見をした嬉しさが滲むような顔で。死神がそんな顔で花火を見てくれるなら、死というものも全然怖くないじゃないか、私はそんな風に思ったものだ。

 エンディングの曲は、映画『オズの魔法使い』で歌われているOver the Rainbow。邦題は『虹の彼方に』。明るく、希望に満ちた曲だ。......この歌を聴いていると、映画の原題がじわじわ効いてくる。

 

③”Meet Joe Black“

 私たちはいつか会いに行くのだろう。虹の彼方で待つ彼に会うことができるのだろう。それはスーザンと彼の再会を物語っているのと同時に、私たちと死神の再会をも示唆している。

 避け難い死を、この映画はワクワクするような未来の約束に変えてしまった。けれども、その時やっぱり私も「去りがたい」そう思ってしまうのだろう。

『去りがたい、それが生だ。それが生だ。』

 このセリフを噛み締めるように言うビルに、私も一緒にこの言葉を噛み締め、その瞬間涙してしまった。何十年後かに見たらまたこの言葉の味わいが変わってくるのだろう。それを味わうために懸命に生きていきたい。